2016年12月27日火曜日

ジーザスクライスト

Jesus Christ!


クリスマスイブの夕方、スーパーマーケットを後にし、歩いていると、前にこのブログにも書いた事のある「私の街のキャラクター2」のジェントルベガーに会った。

何年か前のクリスマス時に靴下とちょっとした食料をプレゼントしてから、わたしとジェントルベガーは、街で会ったら笑顔で挨拶を交わす。しかしこの日は、わたしの前に立ち止まって、チェンジがどうとか言っている。ああ、年の瀬だから入用なんだな、と早合点すると、

(日)ちゃう、ちゃう。これでコーヒーでも飲むか?(英) No, no, would you like a cup of coffee with this? と言い、手に持つ2ドル25セントを手渡そうとする。

これを受け、わたしはやっと状況を把握して、(日)いらんよー。それは、あ.ん.た.のお金やで!(英)No, that's YOUR money. と発言。

ジェントルベガーは、笑顔で all right, all right と言い、2人はそれぞれの道を行った。

わたしはその夜考えた。なんちゅーこっちゃ!ジェントルベガーは、何にも持ってなくて、それでも何か与えようとしている。きっと彼は、教会かどっかで、この時期は人に与えるもんなんだよと学習したんだろう。しかし、彼は、与えられるべき立場で、与える立場ではない。

イヤ、立場などはどうでもいいんだろうか... ああ、ジェントルベガーよ。

ジーザスが、受けるよりも与える方が幸いだと悟ったように、ジェントルベガーもまた、人間として一番大切なその精神を肌で感じて知っている。

(日)今日わたしは、街で、現代のジーザスに会ったのだ!(英)I met modern Jesus in town today!


皆に幸あれ!


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2016年12月18日日曜日

冬の単語のお勉強と年の瀬の現実

地球温暖化により、季節の定義があやふやな年があったり、天候不良などが激増する昨今、去年のオンタリオの冬は比較的穏やかなモノだったが、今年は、本気の冬になる模様。昨日、歯のチェックアップのためトロントまで出かけた際、バスの中から見た温度計は、マイナス17度だった。


Have you ever heard a word "windchill" before?

「ウインドチル」って単語聞いた事ありますかー?「体感温度」と言う意味です。この時期のカナダでは、天気予報などでよく耳にする単語ですが、英語を勉強する人の地域によって、認知度が低くなり得る単語のように思います。

トロントには bylaw(自治体の条約) で、どんなに寒くてもマイナス15度か、Windchillがマイナス20度にならないと、臨時のホームレスシェルターが追加されない。


トロントでホームレスとして生きるのは至難の業。インターネットカフェもないし、銭湯もない。いちど芯まで冷えた身体が温まる日はあるのかな。


もうすぐクリスマスが来る。トロントには、大きな紙袋山盛りのプレゼントを両手に抱えて足早に家路につく人や、コーヒーショップにて笑顔で話す恋人や、シティーホールの前のアイスリンクで楽しそうに滑る子供たちと、何でも持ってる人と、何にも持ってない人が住んでいる。


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2016年12月15日木曜日

人生から落っこちたら助けを見いだす力を絞り出す!

日本の貧困者数は、6人に1人で、貧困者の定義は、所得が122万円以下の人らしい。


人間が人間として暮らすのに必要不可欠なものが、住居、食糧、水、電気、衣服、教育。そして、これらを手に入れるには金がいる。無料のモノは1つもない。

生きてると病気もするし、怪我もする。人間関係によって、思わぬ立場に立たされることもある。自己責任の名の元で全てを消化するのが不可能な場合もあるだろう。そう言う場合、どうするか。親族に頼る?友人、知人に頼る?行政に頼る?

そうだな、行政だ。何故なら、国は、憲法25条で、全ての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する、と謳っている。最低限度の生活と、文化的な生活とはかなり不協和音な感があるが、法律でそう定められているのだから、もーどうしようもなくなったら、助けは行政に求めればいいのだ。

そして、国は、困っている国民に上記の必要不可欠なものプラス文化的な生活を送れる経済的支援をする。文化的な生活とは、書籍を購入したり、映画や芝居を見たり、動物園へ行ったり、旅行へ出かけたり、と精神が豊かになるアクティビティーを実行出来る生活。

生活保護は、何らかの理由により労働が不可能となり、経済的に自立できなくなる時の最後の砦。それが必要になったら、「決まりが悪い」とか「恥ずかしい」とか言う思考回路は遮断し、助けを借り、先へ進もう。そのような助けが必要なく、経済的自立が出来ている者は「私/俺の血税で楽しやがって」じゃなくて、「自分の税金が最良活用されているな」と思うといい。そして、何より、この制度が上手く循環するよう、全国の福祉事務職員の質を信じてやまない。

生きながらにして死んでいるような生活はキツイはすだ。



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2016年12月8日木曜日

ザ・ノンフィクション

まったく、世の中にはいろんな人生があるもんだ。
ネットで見つけたザ・ノンフィクションと言う番組、内容は基本的に常人の日々や社会問題。

最近は、人生、老い、目的、意味などについて考えている。


「我ら百姓家族こどもたちの15年」

父ちゃんのアイディアで、兵庫県の山中に暮らす子供6人。母ちゃんはいない。畑で野菜を育て、ヤギや鶏なども育ててる。子供たちは、野良仕事や家事、動物の世話に追われ、とても忙しそう。ちゅーか多忙すぎて、学校へ行ってない、ときた。父ちゃんの言い分は、「家事は彼等(子供)の仕事。もし時間内に終えられるなら学校でもどこでも行っていいが、出来ないなら仕方ない」だそう。しかし父ちゃん、小さな子供は、何も自分で決められないし、小中学校教育は義務教育である。

番組の終盤、15年後の子供たちの姿が紹介され、末っ子の双子、あいちゃんとれいちゃんの「今」が映し出された。現在、2人は、都会で暮らしている。双子ではあるが、性格はかなり違うようで、れいちゃんからは、しっかりした印象を受け、あいちゃんからは、生真面目で、危なっかしい印象を受けた。

人間は、どんな環境であっても、一度与えられたら、それが自分のものとなり、そこで生きてゆくんだな。そして、気に入らなければ、脱出を、気に入れば、それを続行するわけだ。

この番組のアーカイブを、もっといろいろ見たいけど、見る手段がない。日本在住のだれか、youtube にアップしてくれませんかー。


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